2009年4~5月新潟市美術館で新潟市と建築関連団体の協力を得て「新潟の建築の現在(いま)」展を企画運営する機会を頂きました。最大の展示はメイン展示室の床と中庭を含む外部空間だった。メイン展示室の床展示は2008年にリリース提供された「Google Earth」の日本語版を利用し、信濃川と新潟港・鳥屋野潟を中心とする、衛星詳細写真の貼り合わせて展示しました。新潟の上に立ち、相対的に巨人になった来場者が現在の街を俯瞰するという企画でした。壁面には同時に古い地図(明治期)や戦後GHQが撮影した航空写真を時代順に並べ、歴史の流れの中で新潟の街がどのように変化したかを把握出来るように展示し、新潟市の行政区域の拡大変遷も紹介しました。
新潟港は1858年(安政5年)函館・横浜・神戸・長崎と並んで「開港場五港」として開かれた場所です。以前所属した大学の研究室で「開港場五港」の都市研究に触れ、気付いたことがありました。「新潟だけに無く、他の都市にあるもの」そして、「他の都市に無く、新潟だけにあるもの」です。新潟に無いものは、自分の街の姿を鳥瞰的に見ることの出来る山・高台です。新潟にあるもは、街の背後に広がる広大な平地です。どの都市も、戦後大きくその姿を変える時期を迎えたわけですが、新潟と他の都市とは、この二つの理由から異なる状況で、街の計画・検討がされていたのではないかと考えています。他の都市では、都市を拡大することの障害として山や高台があり、新潟のような広い背後の平地が無く、知恵と十分な検討作業が必要だったという点です。
同時に、自分の住む街を地図の上からだけではなく、実際に山や高台から鳥瞰し、計画を想像すことが容易だったという点です。
この鳥瞰的にものを見るという視点は、実際の建物や街をつくるということの中でも大切ですが、物事を考え判断するという時には、さらに重要な視点となります。自分のものの見方や判断をより柔軟に多角的に検討する場合、自分を中心とした、同じ平面の左右前後を見ているだけでは限界があります。自分を地上から、鳥になったつもりで上空に遠ざかってみると、今まで見えなかった自分の街を囲む隣の街が見え始め、さらに上昇すると自分の国を囲む海や隣国が見えてきます。はるか上空に昇ることが出来れば、太陽系の中の地球さえ見えてくるはずです。どの視点の高さで判断するかで結果も違ってくるはずです。
「新潟の建築の現在(いま)」展が開かれた年、新潟市では「水と土」の芸術祭が開催されることが分かっていましたので、街の表面を確認する衛星写真とともに、その基盤となる新潟の大地の地質やその成り立ちを展示したかったのですが、時間と費用(もっと言えば知識不足)の関係で出来なかった事が悔やまれます。特に新潟平野はその沖積層の厚さ(深さ)という点では、日本のどの平野とも比較にならないほど特徴的な地盤形成の歴史が潜んでいると聞かされていたからです。
現在は国土地理院のサイトや地盤工学関係のサイトで大変興味あるデータが閲覧可能となっていますので、建築構造設計者のみならず興味をもって覗いてみてください。きっとわくわくするようなわれわれの大地とその歴史に出会うことができます.